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zoom RSS 「私の街も戦場だった」

<<   作成日時 : 2015/03/10 10:38   >>

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昨日のTBS特番

「私の街も戦場だった」を見ました
B29による空襲と違い、戦闘機による機銃掃射空襲の埋もれた記憶を解き明かしていく番組です
残されたガンカメラの映像から日時や場所を特定して証言を集めたり、今でも残る機銃掃射の傷跡を紹介したりという内容でした
インフラ破壊の目的から鉄道も重要攻撃目標でしたが、その中でも最大の被害を出した中央線湯の花トンネル付近での銃撃に焦点を当てていました
被害にあった姉妹の再現ドラマや、その生き残った妹さんの証言や、当時17歳で車掌をしていた女性の証言など興味深く拝見しました
また列車を攻撃したアメリカ側のパイロットを探し当時の話を聞く試みも行っていました
他のこの手の番組でもよくあるように、たいていの方は「やることをやっただけだ」と自分の行った行為を否定しようとはしません
もちろん戦争なのですからそれも当然でしょう
番組では相手の姿が見えない爆撃や銃撃には「人を殺す」という心理的な葛藤が少なくなるのではないかという指摘もしていました
しかし番組は最後に中央線を銃撃したパイロットを探し当てます
ご本人はすでに亡くなっていましたが、そのパイロットが当時基地のあった硫黄島から妻に宛てて書いた手紙を紹介しています
その中でパイロットは

「日本がどんなに美しいか僕は君にもう伝えたかな。
田畑がどこまでも広がっていて小さな神社が建っている。

女の人男の人、そして子どもたちも、僕らの戦闘機の音が聞こえると走って逃げていく。

ダメだ。あの人たちを銃で撃つなんて僕にはできない。
幼い子どもたちとわが子の姿が僕には重なって見える。

ちくしょう、戦争は地獄だ。残酷で冷たくて犠牲はあまりに大きい。」


と書いています
当時攻撃に参加していたアメリカ軍パイロットの葛藤がにじみ出ているようで印象に残りました

戦後20年以上たって生まれた私たちの世代でも、まだ戦争の話を聞く機会はありました
中学校の先生からは利根川の河川敷で戦闘機に機銃掃射を受けたという話も聞いたことがあります
利根川の向こうの群馬県には戦闘機の製造工場がありましたし、番組でも話が出たように帰還中の「ついでの」攻撃だったのかも知れません
でもそんな銃撃一つで多くの人の人生が変わってしまうのも戦争の悲劇の一つです

Youtubeでも見ることが出来るガンカメラの映像
そんな映像から埋もれた戦争の記憶を掘り起こしていく興味深い番組でした

今年は戦後70年
そして今日3/10は東京大空襲のあった日です
戦争の悲劇をいつまでも忘れずに
そして日本、世界が平和でありますように

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